2016年1月4日月曜日

休み中に読んだ本2冊

今日は1月3日、日曜日。「今年はいつもより正月休みが短い」と感じるかたもいるでしょう。
「正月なんか無い!仕事してる!」というかたもいると思います。
私も、今からずーっと昔、アルバイトで警備員やっていたときがあるんですが、年末年始は稼ぎ時でしたね。3日働いて10万円、ということもありました。泊り込みでしたけど。


さてさて今日は、昨年末から読んでいて正月休み中に読み終えた本の中から、これは良かった!と思えるものを2冊紹介します。

先ずは、感染症が人類の歴史にどう影響を与えてきたか、を知るのにはちょうど良い入門書
「感染症の世界史-人類と病気の果てしない戦い」石弘之(洋泉社)

じっくり読む専門書というよりも、さらさら読める感じ。
著者は朝日新聞社出身のジャーナリスト。その後、国連環境計画の上級顧問や、北大や農大の教授も勤めたらしく、難しいことを素人にもわかりやすく説明することが上手だ。

感染症の歴史は人類の歴史でもある。
人類が移動すると、感染症も移動する。
アメリカ新大陸への、ヨーロッパ人の移住は、原住民に天然痘やハシカなどの新しい感染症をもたらし、多くの部族が絶滅か絶滅寸前まで追い込まれた。
インカ帝国、アステカ帝国がスペイン軍に滅ぼされたのも、旧大陸から持ち込まれた天然痘によって人口が大幅に減ったことが原因だったらしい。

奴隷貿易によって、アフリカの風土病がアメリカに持ち込まれた。
旧大陸に戻ったヨーロッパ人は、新大陸で感染した梅毒などを母国で広めてしまった。
そして戦争。

戦争は、多くの兵隊を船で輸送したり、衣食住を共にしたり、時に不衛生な状況で生活することを余儀なくする。
有名なスペイン風邪(インフルエンザ)は、第一次世界大戦中のヨーロッパで感染爆発し、戦闘で死んだ兵隊よりも、インフルエンザで死んだ兵隊の方が多かった記録があるようである。
最終的にドイツ軍が降伏したのも、実は、戦う気力が無くなるほど、多くの兵士が病気に倒れたからだという説がある。
その後戦争が終わり、各国に引き上げていった兵士たちから、その国への感染が広がる。
感染は世界中に広がり、日本でも2,300万人が感染し、38万人以上が亡くなった。
当時の世界人口約18億人のうち、3分の1が感染し、世界人口の3~5%が亡くなったという。

現代は当時よりも、感染症の広がるスピードははるかに速い。
一昨年(2014年)のエボラ出血熱や、デング熱、その前のSARSなどは、感染症が飛行機でいとも簡単に移動できて広まってしまうことを思い知らされた。
どれだけ水際対策をしても、潜伏期間中の病気は空港チェックをすり抜けてしまう。

ハシカや水疱瘡、子宮頸がんなど、ワクチンで予防できる感染症もたくさんある。
日本はワクチン接種の後進国だそうだ。
副作用を恐れて接種しないよりも、接種しないで感染するリスクのほうが断然高い、と思うのだが。


さて、もう一冊は、ちょっと難しい本
「進化する遺伝子概念」ジャン・ドゥーシュ(みすず書房)
この本は、簡単にいうと、遺伝学の歴史を、フランス人の学者が書いた本です。
大学で生物をやったひとなら、1年生か2年生のときに学習する古典遺伝学(あのメンデル遺伝学です)を思い出してください。
そして、統計学の授業を思い出してください。

遺伝子とは何か?
これは簡単な様で素人に説明するには難しい問題です。

分子生物学を勉強したひとなら、ゲノムとか、エキソンとか、そういう概念がありますよね。
でもそんな概念すら知らない、例えば自分の親(文系)に説明するのは相当大変ですよ。
そもそも日本語が悪いんです。
遺伝子(Gene)と遺伝(Heredity)は、違う概念なのに漢字が同じって。
だから、「頭の良い遺伝子」とか「背が高い遺伝子」とか、わけがわからない。

遺伝子型Genotypeと表現型Phenotypeについても、例えば「この遺伝子がこの表現型を決定付ける」という話を良く聞く。
そのことについては、トーマス・モーガンが1928年に、ショウジョウバエの交配実験を通じて、ひとつの形質に対してひとつの遺伝子が対応するという考えを明確に否定し、またその逆、ひとつの遺伝子がひとつの形質に対応しているという考えも否定している。
モーガンといえば、今でも遺伝地図で使われる単位、センチモルガンで有名だ。
彼は、遺伝子と形質は決して1対1で対応する関係ではなく、もっと複雑であることを説いた。
それにしても、20世紀の初めにおいてもまだ、遺伝子と形質が1対1で対応するのか否かの論争が続いていたとはちょっと驚き。
メンデルの有名な法則の発表が1865年だから、半世紀以上も論争が続いていたことになる。

グレゴール・メンデルと言えば、エンドウマメを使って、豆の形質に法則性があることを発見し、遺伝子をA/a、B/bなど記号で表現することを発明、遺伝の法則性を数学で表現しようとした。
分散の統計概念がまだ無い時代に、メンデルは偶然によって結果が変わることを考慮し、1万以上の個体を観察した。
また、「Aとかaとかの形質を持つ花粉細胞や卵細胞は、受粉に対して対等に参加している」という理論を述べ、今まで一般に考えられていた、「雄が形質を決定し、卵は栄養分」だということは誤りだと指摘した。
減数分裂、が発見される前の話である。

メンデルはその後、遺伝学の一線から去る。
一説には、エンドウマメで得られた自らの理論を実証すべく、次に雑種実験の材料として選んだ生物のせいだとも言われている。
彼が選んだヤナギタンポポは、アポミクシスと呼ばれる単為発生によって繁殖するきわめて稀な被子植物で(もちろん彼は知る由も無く)、エンドウマメのときの法則はことごとく当てはまらなかった。
これにショックを受けて、自分の理論に自信が無くなったからだろうと、著者は想像している。

この本は遺伝学の歴史の本だけれど、最初の方にあるメンデル以前の話も面白かった。
なぜヒトが生まれるのか?
1677年、アントニ・ファン・レーウェンフックが顕微鏡を発明するまで、それは哲学的なものに近かった。
レーウェンフックが精液中の微小生物(精子)を発見すると、それ以来、精子の中にヒトの形をした胎児のようなものがまるごと入っていて、その胎児が男ならその精子の中にさらにヒトの形をしたものが入れ子のように無限に入っているのだと考えられるようになったそうな。

何でこんな荒唐無稽な理論が信じられるようになったのか?

当時の一流の学者は大真面目に「入れ子説」を信じていたのである。なぜか?
この本を読んで初めて気がついた。

レーウェンフックの精子発見のちょっと前、アイザック・ニュートンとゴッドフリート・ライプニッツによって微分学が発明・体系化された。
どちらが先に発明したのかは諸説いろいろあるようだが、とにかくこの2人の天才によって微分の概念、無限に小さいという概念が、学者の間に広まったのは確かだ。
また、顕微鏡の発明は、肉眼では観察できないミクロな世界が確かに存在する、ということを実証した。
そういう時代背景があれば、精子の中に小さいヒトの胎児がいて、そのまた胎児の精子の中に・・・ という考えも、あながち「あり」だったのかもしれない。

さて、天才ニュートンが微分や二項定理を発明したり、万有引力の法則を発見したりしたのは、1665年~1666年のこと。
当時ロンドンではペストが大流行、ケンブリッジ大学が閉鎖されていたそうです。
で、ニュートンは仕方なく故郷のウールスソープに田舎に疎開した。
ここでさっきの本「感染症の世界史」と偶然にもつながるんです。
雑務から開放されたニュートンは、研究に没頭し、いわゆる「驚異の一年半」で数々の業績を残します。
ちなみにペストは、現キルギス共和国のイシカルル湖周辺が発生地で、げっ歯類が自然宿主、シルクロードを渡る商人やオスマントルコ帝国によって西ヨーロッパに運ばれたとのこと。
1666年にロンドンの6割を消失する大火があってから、建物は全てレンガ作りにしなければいけない法律ができ、それ以来ネズミが減ってコレラも収まったらしい。


今日紹介したこの2冊はちょっと高いですが、それなりの価値はあるなあ、って感じました。
また時間が経ってから読み直したい本でもあります。

難しい本ばかり読んでるな、って?
いつもは、もっと気軽に読める軽い本ばかり読んでますよ。
恥ずかしくてブログでは紹介できないですけど。
いえいえ、普通の本です。

それでは皆さん、2016年も宜しくお願いします!!


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